厳しさ
経営学という授業がありました。
講師の方は、かなり大きな規模の慣行農法でJAの組合員で、うまくJAと付き合いながら(利用しながら)比較的大きな惣菜会社などに作った野菜を下ろしている方で、さまざまな工夫をしながら、利益を上げている方です。
大手ITに努めた後に、農業へ参入された方で、語り口からしてとても頭が切れる方だとわかります。
どの品目の野菜がいつどのように値段がつくかを予想して、収穫時期を調整し、高い利益を上げてきたお話、また法人内の一人一人が自己犠牲なしに、仕事を分担し営んでおられるのですが、どうしても経営者としての立場上自分の時間を犠牲にしてしまう、仕事を分担していても、相手は生き物なので想定外の事象の対応を自身の時間を犠牲にしてしまうという、システム構築の難しさをお話しくださいました。
とても頭の切れる方だったので、想定したことがほぼ想定どうりに予想できる方なのでしょう。
きっと私が、就農したならば想定外の出来事ばかりの毎日で、自己犠牲ばかりの毎日を送ることだろうなと思いました。
でも、就農を目指した時点で、心のどこかでそれらの事を私は求めているのかもしれないなぁと感じました。
もともと介護士出身の私は、もちろん生きて行く限りはお金は必要ですが、誰かのために何かをできる事が幸せとしようと思っている人間ですので、
その範囲が広ければ広いほど、感じる幸せは大きいと感じます。
直接的であればあるほど、それは嬉しいと感じる単純な人間です。
とは言え、肉体的、精神的苦痛に対する耐久性は低い…
実際就農したならば、その辺の調和できるポイントを模索する日々となるのだろうなと思っています。
また、就農の厳しさを話されるなか、就農しない勇気も、この一年で見定めてはとの話もあり、ハッとさせられました。
さて、自身の農営スタイルをどこに持ってくるか?始まったばかりの模索の期間を、できるだけたくさんの人に会い、話を聞き、情報を集め、どういうスタイルが私にあっているのかに当てて生きたいと思います。
これからも良い出会いがありますように!
農業学校 実習
一週間前、農業学校の入学式があった。
約30人今日の方々が入学し、午前中は講師、学校スタッフの紹介に続き、入学者の農業への抱負と卒業時にどうなっていたいかを一人一人全員の前で発表を行った。
各自、農業への想いの違いこそあれ年間60万円もの大金を支払い入学したのだから、おおよそ中途半端なものではない。
実家の農業を継ぐための準備で来た人、農機具メーカーの人、定年後の老後の活動を模索しにきた人、そして新規就農の可能性を探りにきた人、そして本気で就農を志す人。
一度社会に出て、新たにお金を払って学びにきた人達だから、現役の学生の不揃いなそれとは違い熱意に満ちている。
年齢も30代から70代と幅広いが、残された人生をそれにかけてきた人たちばかりだ。
私の場合も人生をそれに切実にかけている。
常に家族の顔が心に浮かぶ。
家族にとってもこれは賭けのようなもの。
許してくれた奥さんに感謝。
その日の午後は植物の原理、つまり、何を持って植物は成長し、その成長を何が阻害するかなど理論を学ぶ。
はぁ〜、植物は自然の神秘などと言ってられない。
確実に科学。
自分を含め、それを創造したのは、神の息吹なのかも知れないが、
原因と結果、法則がある。
早く外に出て、土に触れ、植物に触れ、肌でそれらを感じたい。
昨日、待ちに待った農業実習を受けた。
若いながらも一人で就農している、自分より若い男性が講師。
人間同士、相性はあるが自分的には良い先生だと感じた。
安心できるレスポンスのある人。
耕地はされている土地での畝立てとマルチ張り。
私の学校は有機農法を教えてくれているので、土からは牛糞の粘っこい、だが懐かしい香りがする。
鍬や鋤で土を起こし、畝を立てる。
農家ではほぼこの作業をトラクターで行うが、自身で団粒状の土に鍬を入れる。
思いのほかその農地は水はけが悪いらしく、一昨日の雨で、泥状になって重たい土に鍬を入れる。
やり慣れない作業。
武道や競技、人間関係、人の営みには力が入れば入るほど抵抗に遭い、ぶつかる。
一つ一つ鍬を入れるごとに大地にぶつかり、反発をくらい、更に力が入る。
慣れてくれば、力も抜け作業も楽になるだろう。
翌々日(笑)の筋肉痛を想像しながら作業をした。
数十人がほぼ一日かけて25mの畝4本をたて、マルチをかけ、ジャガイモの種芋を植えた。
畝ごとに植え方を変える。
どのように、芽が出て、形になるのか楽しみだ。
20年前の一度きりの長野県の野辺山での高原野菜(レタス・白菜)のアルバイトは殆どが機械作業だったことを思い出した。
トラクターに踏みにじられたマルチ剥がしは辛かったのを覚えている。
だが、どちらの作業も外気を感じ、匂いを嗅ぎ、時折空を見上げ、大地と向かい合う。
更には地球と向かい合う作業。
よそよそしかった人たちが作業を通じ打ち解けてゆく。
これは心を開く作業。
アグリセラピーもきっと、効果のある人たちには確実にそれはあると感じる。
帰り際には、チーム用に分けられた圃場で何を育てるか、相談して家路に着いた。
心地よい疲労感と、少し焼けうっすら赤くなった顔が火照る。
お家に帰り奥さんに今日の出来事を話した。
奥さんは分野外のことを自分の事のように聞いてくれる。
こういう日は少し興奮してなかなか寝付けないが、気がつくと眠っていた。
人間らしい。
これからの事は、私の努力と運しだい。
新たに自分らしい生き方を模索した私の人生は、これから。
この先に何が待っているのかは誰もわからない。
でもこれからもきっと幸せであるように。
一年前のバイク事故
約一年前、単独でのバイクツーリングで事故にあった。
いわゆる右直の事故。
直進で走行中、対向車線からの右折車に衝突。
事故の直前から記憶が全くない。
気絶している中、救急隊員に声をかけられ、眼を覚ます。
右足、腓骨・中足骨の開放骨折と、膝の皿の骨の骨折、それから膝の靭帯(後十字靭帯)の断裂だった。
約2ヶ月の入院生活、靭帯の再建術を受け、リハビリを経て現在に至る。
事故の一年前に結婚し、地元の内科医と組み小規模のデイサービスを立ち上げて4ヶ月目の事だった。
この事故で当然の事ながら仕事も退職。
あらゆる人に迷惑をかけたが、この先、どうして生きていけば良いのか、お先真っ暗。
入院、リハビリの中、この先の事を嫌という程考えた。
足は元に戻るのか?
また自分は介護の仕事が出来るのか?
年々報酬を減算され、縛りがきつくなる介護保険に対して、憤りも感じていたし、事故をきっかけに自分に合った仕事ってなんなんだろうと考え続けた。
妻の一言「農業が向いてるんじゃない?」
若い頃、アジアや南米を旅し、自然の中に身を置くことに幸せを感じていたし、ベランダで空芯菜や唐辛子を栽培していた私を見て、彼女はこの一言をかけてくれた。
なんと心の広い妻だ!
足はまだ正座するまで曲げれない。
そして、43歳という年齢からの転職。
調べていく中、おいそれと農業で生計立てられるほど甘いものではない事もわかってきた。
事故から約一年。
フランクルの「夜と霧」ではないが希望を持つ事で、生きる目的を、農業を通して模索し始めた。
まだ、どこでどんな風に生活するのか何も決まっていないが、一年間、民間の農業学校へ通うことを決めた。
このブログは、これからの人生をどのように選択して、
そして、生きていくかを綴っていきたい。